時代のビジョンに従う

真理

あらゆる時代においてその時代のビジョンがあります。旧約時代であれ新約時代であれ、人々はビジョンを見てその時代の必要に対応してきました。今日、わたしたちは時代の務めを通して、時代の完全なビジョンを得て、この時代のビジョンにしたがって神に仕え、このビジョンに緊密に従わなければなりません。

すべての時代には
ただ一つのビジョンがある
旧約時代は神の創造から(あるいはアダムが創造された時からと言う人もいます)、主イエスの誕生までの、四千年間です。わたしたちは、あらゆる時代において、神が人に一つのビジョンだけを与えておられることを見なければなりません。アダムにおいて、神の贖いが見られます。アベルにおいて、神の贖いの道が見られます。エノスにおいて、人が神を必要とすることと、人が神を呼び求めて神の豊富を享受することが見られます。エノクにおいて、一人の贖われた人が神と共に贖いの道を歩んだことが見られます。ノアにおいて、神と共に歩み、神と共に働き、箱船を建造してその世代の必要を満たした人が見られます。次にアブラハムにおいて、神の召し、神の約束、信仰による義認、信仰によって生きること、神との交わりの中で生きることが見られます。イサクにおいて、恵みを相続することと、安息と享受が見られます。ヤコブにおいて、神の選び、命における造り変え、また命における円熟が見られます。ヨセフにおいて、命において円熟し王として支配する面が見られます。すべての時代にはただ一つの時代のビジョンがあり、人はその時代のビジョンに基づいて神に仕えなければなりません。

ビジョンの下で行動し、
ビジョンを持っている人たちに従う

イエスと彼に従った弟子たち
新約時代はイエスの誕生から始まりました。ナザレのイエスが来て神に仕えられた時、一群れのガリラヤの漁師たちが彼の弟子となって彼に従いました。人の目に、これらのガリラヤ人たちはまるでやんちゃな子供たちのようでした。外見上、イエスは一人のガリラヤ人でした。彼は三十歳になるまでナザレから離れることはなく、また神に仕えることで正式な教育も受けませんでした。しかし三十歳の時、彼は務めを開始しました。そればかりでなく、彼に従う一群れの「無学な」人たちを持たれました。あなたは、当時のパリサイ人や祭司長たち、聖書学者たちや長老たちが彼らについてどのように考えていたと思いますか? これらの人たちの間には漁師や取税人やイエスの親族たちがいました。かつて七つの悪鬼にとりつかれていた女さえいました。彼らが共に神に仕えていたとき、子供たちが遊んでいるように見えたのではないでしょうか?

その当時、イスラエル人たちの間には依然として立派な宮がありました。それは四十年かけて建てられたものです。レビ人たちは二十四の組に分けられていて、その組にしたがって犠牲をささげ、務めをしていました。彼らは器具に注意を払い、動物をほふり、日ごとの全焼のささげ物と罪のためのささげ物や、週ごとの安息日のためのささげ物のような犠牲を青銅の祭壇にささげました。人の目に、そのような奉仕は確かに正しく、威厳がありました。しかしながら神の目に、宮における祭司の奉仕はビジョンの下で行なわれていたのではなく、伝統によって行なわれていました。主イエスと彼に従っていた者たちの奉仕こそ、ビジョンの下にあり、また神に喜ばれました。

主イエスに従っていた人たちは祝福された人たちでした。彼らの間にペテロがいました。彼は導く者でしたが、率先して愚かなことを言いました。その中には、かつて七つの悪鬼にとりつかれていたマグダラのマリアもいました。また別のマリアもいました。彼女は主を熱烈に愛し、銀貨三十枚に相当する石膏の壷を砕いて、主イエスに油を塗りました。外側で、彼らはみな主イエスに盲目的に従いました。なぜなら、主イエスはビジョンを持っているただ一人の方であったからです。ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、マリア、その他すべての人はビジョンを受けていませんでした。しかし彼らは、主の道が正しいことがはっきりしていたので、彼に従うことを決意しました。主が東に向かうと、彼らも彼に従って東へ行きました。主が西へ向かうと、彼らも彼に従って西へ行きました。主が海へ行かれると、彼らも彼に従って海へ行きました。主が山へ行かれると、彼らも彼に従って山へ行きました。主がガリラヤにいるとき、彼らも彼に従ってガリラヤにいました。主がエルサレムへ行かれると、彼らも彼に従ってエルサレムへ行きました。彼らは主イエスに従っている限り、間違うことはないと心の中で確信していました。おそらく、人々の目には盲目的に従っていると見えたかもしれませんが、このように従うことは神を喜ばせ、またビジョンを持ってなされたのです。彼らは個人的には少しもビジョンを受けませんでしたが、彼らが従っている方はビジョンを持っておられたので、それで十分でした。彼らがビジョンを持っておられる方に従って行動している限り、彼らは神の目に正しかったのです。

ペテロと彼の仲間たちの奉仕
主イエスが死んで、復活し、昇天された後、まずペテロ、後にパウロが続けて務めの中で仕えました。使徒行伝第五章でペテロが言葉の務めを行なっていたとき、ユダヤの会堂の者たちが使徒たちに反対するために立ち上がり、彼らを獄に入れました。しかし主の御使いが夜中に獄の戸を開き、彼らを導き出して、宮の中に立ち、民衆にこの命の言葉をすべて語るように告げました。夜明けごろ、祭司長たちはサンヘドリン[最高法院]を召集し、彼らを連れて来るように求めました。下役たちが着いてみると、獄はしっかり錠がかけられており、看守たちは戸口に立っていましたが、戸を開いてみると、中にはだれもいませんでした。彼らが全く途方にくれていると、ある者が来て彼らに報告しました、「ご覧ください.あなたがたが獄に入れた人たちが、宮の中に立って、民衆を教えています」。そこで、守衛長は下役たちと出かけ、使徒たちを裁判にかけるために、サンヘドリン[最高法院]に連れて来ました。サンヘドリン[最高法院]は使徒たちの話を聞いた後、彼らを殺すことを求めました(十七―三三節)。

一人のパリサイ人で、すべての民に尊敬されている律法の教師、ガマリエルが立ち上がって言いました、「この人たちから手を引いて、なすがままに任せなさい.この企てや働きが、人から出たものであるなら、覆されるからである.しかし、もし、それが神から出たものであるなら、あなたがたは彼らを覆すことはできない.もしかしたら、あなたがたは、神に敵対する者となるかもしれない」(三八―三九節)。ガマリエルの言葉は正しかったのですが、これは彼がビジョンを持っていたことを意味するのではありません。当時ビジョンを持っていたのは、獄に入れられた使徒たちと彼らに従っていた単純な人たちだけでした。

彼らの先祖たちが間違っていたということがあり得るでしょうか? ダビデ、イザヤ、他のすべての人たちが間違っており、これらのガリラヤ人たちだけが正しいということがあり得るでしょうか? さらに、彼らは獄に入れられさえしました。しかし、ある人たちはなおも彼らに従っていたのです。これはあまりにも愚かに見えました。

ここにわたしたちは二つのグループの人たちを見ます。一つのグループはユダヤ教徒でした。もう一つのグループはペテロに単純に従った人たちでした。両方のグループは神に仕えていましたが、だれの奉仕がビジョンの下にあったのでしょうか? わたしたちが見る必要があるのは、ペテロの奉仕がビジョンの下にあっただけでなく、彼に従った単純な人たちさえもビジョンの下で仕えていたということです。

パウロと彼の仲間たちの奉仕
使徒行伝第十一章で、バルナバは彼の奉仕にサウロを伴って、彼をアンテオケに連れて来ました(二五―二六節)。これはバルナバがビジョンにしたがって行なったことでした。ある日、聖霊がアンテオケで仕えていた人たちに語って、「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び分け、わたしが彼らを召した働きに当たらせなさい」(十三・二)と言われたことを見いだします。ここで聖書はバルナバを最初に置いています。これは彼が導く者であったことを見せています。彼らの旅を記録するとき、聖書はバルナバの名を第一に置き、サウロの名を第二に置いています。しかしながら、彼らがピシデヤのアンテオケに来て、安息日にだれかが会堂で語る必要が生じたとき、バルナバには何も言うことがありませんでした。その時、パウロと呼ばれたサウロが立ち上がり、手を振りながら福音を宣べ伝え始め、せきを切ったように注ぎ出しました(十四―四一節)。それ以降、聖書は二人の順序を逆にして、彼らを「パウロとバルナバ」と呼び始めます。これは、その時にビジョンがパウロにあり、パウロを導く者にしたことを見せています。

使徒行伝第十五章でパウロとバルナバはエルサレムでの会議から戻って来た後、彼らが以前に宣べ伝えた町々を再訪問して、兄弟たちに再び会う負担を持ちました。その時、バルナバは自分の意見を述べました。彼は自分のいとこであるマルコも一緒に連れて行きたかったのです。パウロはそれに同意せず、二人は論争して、互いに別れてしまいました。バルナバはマルコを連れて別の道を行きましたが、パウロはシラスを連れて行きました(三六―四〇節)。それ以降、使徒行伝には、もはやバルナバの記録はありません。バルナバは依然として仕えていましたが、彼の奉仕はもはやビジョンの下になかったと、わたしたちは信じます。その時から、ビジョンの下で仕えていた人は、パウロと彼が選んだシラスでした。

ビジョンを持っている人たちの
リーダーシップに従うことによって仕える

アクラとプリスキラの模範
使徒行伝第十八章の初めに、パウロが天幕造りを通して一組の夫婦、アクラとプリスキラを得たとあります。彼らは直ちにパウロのビジョンに身を投じ、彼と共に奉仕しました。それ以来、この夫婦の家で絶えず集会がありました。彼らがローマにいると、ローマに在る召会は彼らの家で集会をしました。彼らがエペソに行くと、エペソに在る召会は彼らの家で集会をしました(ローマ十六・五前半Ⅰコリント十六・十九後半)。パウロは、彼らが彼の命のために、自らの首を差し出したことで彼らを称賛しました。パウロが彼らに感謝しただけでなく、異邦人世界にあるすべての召会も彼らに感謝しました(ローマ十六・三―四)。アクラとプリスキラの奉仕はパウロに従った奉仕でした。このゆえに、彼らの奉仕はビジョンの下にある奉仕でした。

テモテとテトスの模範
今日、キリスト教において、多くのクリスチャンは自分たちが霊的であると主張しますが、他の人たちの話を聞くのが好きではありません。たとえパウロがここにいたとしても、彼らは彼の話を聞かないかもしれません。このような態度はわたしたちにさえ見られます。ある面で、わたしたちも「霊的」であるように見えます。時に、わたしたちはある感覚を持ちますが、わたしたちは兄弟たちにこう言うことができるだけです、「わたしはあなたにこれを行なうように勧めます。おそらく、あなたはそのことについて主に祈ってもよいでしょう」。厳密に言えば、このような状態はあまり正常ではありません。わたしたちは使徒行伝とパウロの書簡を学ぶなら、彼が多くの時、ある事柄を行なうよう人々にあからさまに告げたことを見ることができます。テモテへの第二の手紙第四章で、パウロは人々に多くの事を行なうように指示しました。彼はテモテに告げました、「急いでわたしの所へ来るように努めてください.……マルコを一緒に連れて来てください.彼はその務めのために、わたしに役立つからです。わたしはテキコをエペソに遣わしました。あなたが来る時、わたしがトロアスのカルポの所に置いてきた外套を持って来てください.……何とかして冬になる前に来てください」(十一―十三二一節)。パウロがこのようにテモテに命じたとき、テモテはこう言いませんでした、「気候がやや寒いので、今のところ、わたしには行く気持ちが全くありません。しかし機会があれば、行きます」。そうではなく、彼はパウロの指示に従い、それに応じて行動しました。

同じように、パウロがクレテにとどまるようテトスに求めたとき、テトスはとどまりました。ニコポリにいるパウロの所へ来るようテトスに求めたとき、テトスは従いました。彼がテトスをコリントに遣わすと、テトスはそれに応じて行きました(テトス一・五三・十二Ⅱコリント七・六―七十五)。テモテへの第一の手紙第一章三節でパウロはテモテに告げました、「わたしが……あなたに勧めたように、あなたはエペソにとどまってい」なさい。パウロがエペソにとどまるようテモテに告げると、テモテはとどまりました。わたしたちはパウロがテモテに次のように言って勧めたという形跡を見いだすことはできません、「テモテよ、エペソで神のエコノミーと異なる事を教えている人たちのために、あなたはとどまって、その状況を考察すべきであると、わたしは感じます。これが主のみこころであるかどうか、主に祈ってみてください」。また、わたしたちはテモテがこのように答えているのを見いだすこともできません、「はい、祈ってみます。もしそれが主のみこころであるなら、わたしはとどまります」。使徒行伝第十七章は言います、「パウロを案内した人たちは、遠くアテネまで彼を連れて行った.そしてシラスとテモテに、できるだけ早くパウロの所に来るようにとの命令を受けて、帰って行った」(十五節)。その後シラスとテモテがマケドニアから下って来ました(十八・五)。彼らはみなパウロの命令を受けると、直ちに従いました。だれもこう言いませんでした、「すみません、わたしは少し祈って、これが主の導きであるかどうかを見なければなりません」。

時代のビジョンの下で奉仕する
聖書がはっきりと示しているのは、神はあらゆる時代にただ一つのビジョンを人に与えておられるということです。今日わたしたちが神に仕えるのであれば、何がわたしたちのビジョンでしょうか? わたしたちはこの質問に、いくらかの霊的用語だけを用いて一般的に答えてはなりません。わたしたちの答えは、しっかりした基礎に基づいていなければなりません。

モーセの時代に、モーセ五書がありましたが、神の啓示はまだ完成していませんでした。モーセが見たビジョンは、彼の後に現れた人たちを完全に支配するには十分ではありませんでした。新約時代に来ると、パウロは神の執事職にしたがって、その奉仕者になりましたが、それは神の言を完成するために神が彼に託されたものでした(コロサイ一・二五)。九五年ごろ、パウロが殉教した二十数年後、使徒ヨハネが起こされて繕う働きを行ないました。彼はヨハネによる福音書、ヨハネの書簡、啓示録を書きました。これらの書が書かれた後、神の啓示は完全に完成しました。こういうわけで、啓示録の終わりでヨハネは言いました、「もしだれでもそれに付け加えるなら、……何かを取り去るなら、神はこの巻物に書き記されている命の木から、また聖なる都から、その者の分を取り去る」(啓二二・十八―十九)。これは、啓示録が神の啓示全体を完成したことを意味しています。啓示録は確かに神の啓示の究極的完成です。なぜなら、パウロは新しい天と新しい地について何も述べませんでしたし、ペテロはそれらを簡単に述べただけだからです(Ⅱペテロ三・十三)。啓示録だけが新しい天と新しい地について詳しく語っています。これは、使徒ヨハネが啓示録を書き上げた時に、聖書の啓示は究極的完成に到達したことをはっきりと示しています。こうして、これがその後、今日のわたしたちの奉仕のビジョンと基礎となっています。

使徒たちの時代から今日まで、聖書の啓示にしたがって仕えるすべての主のしもべは、ビジョンの中にいます。これが奉仕の標準と基礎です。聖書を持ってさえいれば、啓示があり、ビジョンにしたがって行動していると言うことはできません。人々はただ手に聖書を持っているだけで、聖書の中に含まれているビジョンや啓示を認識していない可能性も大いにあります。このゆえに、わたしたちはいくらかの基本的な原則を認識しなければなりません。ですから、基本的な原則は、第一に、聖書の啓示の中にいなければなりません。第二に、啓示の標準は神聖な啓示を構築しなければなりません。

ノアの時代に、ビジョンは箱船を建造することでした。その時に、箱船を建造していない者はビジョンにしたがって仕えていなかったのです。パウロの時代に、ビジョンは福音を宣べ伝え、召会を建造することでした。その時、このビジョンにしたがって仕えていない者は、聖書を解釈することで有能だったアポロや、奉仕に熱心だったバルナバのように、的はずれでした。今日のわたしたちのビジョンは何でしょうか? 主は彼に現在の回復のビジョンを与えました。すなわち神の永遠のエコノミーのすべてを含むビジョンです。それは究極的完成、新エルサレムのビジョンです。今日、わたしたちはこのビジョンだけを持っているので、一つ思いになることができます。それは、時代を構築し、すべてを継承したビジョンです。どうかこの時代のビジョンに緊密に従い、神のエコノミーを完成させることができますように。

記事は日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」第5期第6巻より引用

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