わたしたちがエレミヤ書を読むとき、この書全体の内容が、イスラエルの歴史の描写とエレミヤの言葉の務めを除いては、それはエレミヤの自叙伝であるということを見いだすでしょう。エレミヤはその時代に、神のために語るという託宣を神から受けた勝利者でした。エレミヤはもともと臆病な若者でしたが、神によって起こされて神の代弁者(神の言葉の出口)となり、神のために語り、神を表現しました。本篇では、どのような時代背景があり、神はエレミヤを起こし、神のために語るようにさせたのか、またエレミヤがどのような特質を持ち、神に用いられることができたのかを探ります。
イスラエルの歴史と神聖な啓示の没落
エレミヤの時代以前のイスラエルの歴史
エレミヤの時代以前に、イスラエル人はエジプト人のくびきとパロの暴虐の下、エジプトで生きていました。神はモーセを遣わし、彼らをこのくびきと暴虐から解放し、彼らをエジプトから荒野へと、そしてシナイ山へともたらされました。シナイ山で、天はイスラエルに開かれ、神は彼らに幕屋とその器具についての啓示を与えられました。彼はまた彼らに出エジプト記、レビ記、民数記を与え、どのように神を礼拝するかを告げ、どのように食べ、着て、振る舞うかについての詳細な指示を与えられました。その時からイスラエル人は、あらゆる面で神聖な啓示の下にある民となり始めました。
最初の頃、イスラエルは神聖な啓示にいくらか従っていました。彼らは神から受けた啓示にしたがって幕屋を建て、その啓示にしたがって、祭司職とささげ物を通して神への礼拝を始めました。しかし、彼らが荒野を進んでいたとき、モーセを通して神から受けた啓示から堕落し始めました。民数記は神の律法から、すなわち神の啓示から堕落した多くの事例を記載しています。
イスラエルの民が良き地に入ろうとしていた時、モーセは律法を、すなわち神聖な啓示を繰り返し語りました。このときイスラエル人は神聖な啓示の始まりの時期にいました。この繰り返し語る中で、モーセは特に彼らが良き地に入った時に、偶像を壊し、偶像礼拝の場所を破壊し、偶像礼拝者を殺すようにと命じました。例えば、偶像礼拝者について、モーセはイスラエルに命じて言いました、「あなたは彼らを徹底的に滅ぼさなければならない.彼らと何の契約も結んではならない.彼らに何の好意も示してはならない。……むしろ、彼らに対してこのようにしなければならない.すなわち彼らの祭壇を打ち壊し、彼らの石柱の像を打ち砕き、彼らのアシラ像を切り倒し、彼らの偶像を火で焼かなければならない」(申七・二、五)。
しかし、イスラエル人は偶像礼拝者を徹底的に滅ぼすという戒めに従いませんでした。イスラエルとその地の民の間で何度も戦争がありました。神は士師たちを起こしてイスラエルの民を導かせました。士師たちは強い者、指導者で、偶像礼拝者たちに対してイスラエルのために戦いました。士師たちの時代の後、サムエルによってもたらされたダビデが、その地の全住民と戦ってその地の大半を獲得しました。ダビデが宮を建てることは許されませんでしたが、神から宮の設計図を受け、アブラハムがイサクをささげた場所であるモリヤの山に、材料と宮の敷地を準備しました(歴代上二八・十一―十二、十九、二九・一―二、二一・十八―二六、歴代下三・一)。ダビデの子ソロモンは、父が神から受けた設計図に従い、紀元前千年ごろに宮を建てました。それはイスラエルの国の全盛の時期でした。
聖書は、ソロモンは知恵のある王であったことを記載しています(歴代下九・一―九、十二)。しかし、彼の全生涯が良い霊的な状態にはありませでした。彼は年老いた時、多くの異教の妻によって導かれて偶像を拝みました(列王上十一・一―八)。彼は率先して神から離れ、神の啓示から堕落しました。ソロモンの子孫のほとんどすべてが彼の背信を継続しました。この背信は、エレミヤが神に命じられて預言する時まで続いていました。
エレミヤの時代に
イザヤはイスラエル人に対して預言して、イスラエル人はソドムやゴモラのようになったと指摘して責めました(イザヤ一・九―十)。しかしながら、イスラエル人は継続して邪悪の中を生きました。その当時の社会は殺人、淫行、むさぼり、偽り、盗みで満たされていました。王でさえどん欲でした。王は民に命じて宮殿を建てさせても、彼らの労働のために支払いをしませんでした。民は神に対しても互いに対しても忠信ではありませんでした(参考、エレミヤ五・七―八)。
このような状況の中で、神はエルサレムにおいて忠信で誠実な預言者を見いだすことはできませんでした。そこで神は、ベニヤミンの小さな部族の地のアナトテの町に行き、エレミヤを召して、この若者に神のために語るように託しました。エレミヤは自ら言い訳して、自分は若者であり、どのように語るのかもわからないと言いましたが、エホバは彼に言われました、「自分が若者であると言ってはならない.まことに、わたしがあなたを遣わすすべての所へ、あなたは行って、あなたに命じるすべてのことを、あなたは語らなければならないからだ。彼らの顔を恐れてはならない.まことに、わたしはあなたと共にいて、あなたを救い出すからである」(一・七―八)。エホバは続けてエレミヤを、全地に対して要塞のある町に、鉄の柱に、青銅の城壁にすると言われました。王たち、首長たち、祭司たち、民が彼に対して戦っても、彼には勝てないでしょう(十八―十九節)。エレミヤに対して戦う者は、実はエホバに対して戦っていたのです。彼はエホバの一人の軍隊でした。だれも彼を打ち破りませんでした。なぜなら、エホバが彼と共におられたからです。こうして、エレミヤは神の使命を逃れることができず、彼は励ましを受けその使命を受けました。
エレミヤは紀元前六二九年(エルサレムがネブカデネザルによって捕らえられる二十三年前)に預言し始めました。神はエレミヤに命じて、神を捨て、行ないが悪くなったイスラエルを罪定めさせられました。彼らは生ける水の源泉である神を捨て、そして壊れた水ためを堀って、偶像に向かい、それらを拝んでいました(エレミヤ二・十三)。それにもかかわらず、エレミヤを通して、神はイスラエルに、彼女の愛する、同情深く、あわれみある夫として語って、花嫁の日々の愛を覚えていると言われました(エレミヤ二・二)。神はイスラエルにため息をつきました。なぜなら、彼らが唯一の夫としての神を捨て、多くの他の夫に行ったからです。しかし神は彼らが神に戻ってくることを切望されました。
神聖な啓示の没落
エレミヤは出て行って神の使命を成就しようとしたとき、王、首長たち、祭司たち、民に語りました。エレミヤは王に、彼は罪深い、もし悔い改めて神に帰らないなら捕囚にされると告げました。彼は首長たちと長官たちが民を欺き、彼らからだまし取っていると叱責しました。彼は預言者たちが偽って預言していることを暴露し、祭司たちが神聖な啓示によらないで自分自身の権威によって支配していることを暴露しました。彼は民に、彼らは公正を行なっておらず、信実を求めておらず、彼らが窮乏の人たちを不正に扱っていると言いました。しかし彼らはエレミヤの言葉に注意するのではなく、彼を憎みさえしました。祭司たちはエレミヤを捕らえ、彼を首長たちに手渡し、首長たちは彼を獄に投げ入れました。これは、イスラエル人が神の律法、神の啓示を重んじなかったことを示しています。
その時、イスラエル人は神聖な啓示の没落の時期にいました。彼らは神と神の啓示についてすべてを放棄し、暗い夜へと入って行きました。イスラエルの状況は、神に強いて彼らを懲らしめ、彼らを罰するようにしました。神はイスラエル人を懲らしめたとき、夫が淫行へと堕落した妻を扱うように彼らを扱われました。こういうわけで、神がイスラエルを叱責される口調は、夫が不忠信な妻に語るような口調なのです(第二章―六章)。
最後の王、ゼデキヤの事例が、神が彼の民を懲らしめる例証です。ある日ゼデキヤは、獄にいるエレミヤを呼び寄せました。王は自分の家でひそかに尋ねて、「エホバから何か言葉があるか?」と言いました(三七・十七前半)。ゼデキヤは、イスラエルと王としての彼自身について尋ねていました。エレミヤは、「あります」と言いました。また、「あなたはバビロンの王の手に引き渡されます」と言いました(十七節後半)。
別の時、ゼデキヤ王は人を遣わして預言者エレミヤを、エホバの家にある第三の入り口の自分の所に連れて来させて、何事も隠してはならないと告げました。エレミヤは答えました、「もしわたしがあなたに告げるなら、あなたは必ずわたしを死に渡されるではありませんか? わたしがあなたに忠告を与えても、あなたはわたしに聞こうとされないでしょう」(三八・十四―十五)。王から死に渡さないと保証されて、エレミヤは続けて言いました、「エホバ・万軍の神、イスラエルの神はこう言われる、『あなたが本当にバビロンの王の首長たちに降伏するなら、あなたは生き、この町は火で焼かれず、あなたもあなたの家の者も生きる。しかし、あなたがバビロンの王の首長たちに降伏しないなら、この町はカルデア人の手に渡され、彼らはそれを火で焼き、あなたは彼らの手から逃れることはない』」(十七―十八節)。王はこの言葉に従うべきであることを知っていました。しかしながら、彼は、カルデア人の所に落ち延びたユダヤ人が自分に何かをするのではないかと恐れていました。エレミヤは、彼らはゼデキヤを傷つけることを何もしないと告げたのですが、王はエレミヤの言葉を取らず、むしろ王に言ったことをだれにも告げないようにと命じ、彼を去らせました。ゼデキヤはエレミヤに聞き従わないで、エルサレムを包囲しつつあるバビロンの軍勢に抵抗し続けました。町が占領された後、ゼデキヤは逃げました。バビロンの軍勢は彼の後を追い、彼を捕らえました。ゼデキヤはネブカデネザルの前に連れて来られ、ネブカデネザルはゼデキヤに裁きを言い渡しました。そしてバビロンの王は、ゼデキヤの子たちを彼の目の前で殺しました。この後、彼はゼデキヤの両目をえぐり出し、彼を青銅の足かせにつないでバビロンに連れて行きました(三九・一―七)。
最終的にバビロンの軍勢はエルサレムの町を焼き、宮を破壊しました。エレミヤはこれらの事を目の当たりにしました。エレミヤについて、ネブカデネザルは、護衛長によくよく彼の世話をし、彼を害することを何も行なわないようにと命じました(十一―十二節)。バビロンへ捕らえ移されようとしている、エルサレムとユダのすべての捕らわれ人の間で、エレミヤは鎖につながれていました。しかしながら、護衛長は彼を鎖から解放し彼に言いました、「そこで、今、見よ、わたしは今日あなたを、あなたの両手にある鎖から解放する。もしあなたが見て、わたしと共にバビロンへ来るのが良いなら、来なさい.わたしはあなたの世話をしよう.しかし、もしあなたが見て、わたしと共にバビロンへ来るのが悪いなら、それでも良い。見よ、全地はあなたの前にある.どこへでもあなたが見て、行くのが良く正しい所に行きなさい」(四〇・四)。こうして、預言者エレミヤは自由にされました。
エレミヤはこれを予言して言っていました、「万軍のエホバはこう言われる、『人々はぶどうの木を摘み取るように、イスラエルの残された者[レムナント]をすっかり摘み取る.ぶどうを収穫する者のように、その手を枝々に再び伸ばせ』」(六・九)。この言葉は成就されました。ゼデキヤが捕らえられ、エレミヤが釈放された数年後、バビロン人は再び来て、イスラエルの地を「摘み取り」、さらに多くの人々を捕らえて行きました。これが、神聖な啓示の没落におけるイスラエル人の状況でした。
預言者エレミヤ
エレミヤは祭司ヒルキヤの子であり、アナトテの町で生まれ育ちました(一・一)。彼は祭司に生まれましたが、ヨシヤの統治の第十三年に召されて預言者となりました。彼は捕囚にされた後も続けて神の言葉を伝えました(一・二―三、五―七)。年代から推算して、彼はハバクク、ゼパニヤ、ダニエル、エゼキエルと同じ時代の人でした。また彼は働きと証しのために結婚しませんでした(十六・一―四)。彼の生まれながらの性質は、比較的気が弱く、臆病でした。もし神の励ましや催促がなければ、彼はいつも退いてしまいます。しかし、神の霊が彼の上で働くなら、彼は熱烈な愛情とゆるぎない決意を持って、剣も恐れず、生死も顧みず、王の前でも、敵の前でも勇敢に証ししました。エレミヤには別のもう一つの特徴がありました。それは彼の心が思いやり(柔らかく細やか)があり、その性情は思いやりのある神と同じでした。この思いやりのあることでエレミヤは絶対的に神と一でした。ですから神は彼を用いてご自身のために語らせ、神を代行させることができました。
エレミヤは預言者の中で、最も苦難を受け、そして試練を受けた一人でした。ごく少数の王や、首長、祭司、民を除いて、すべての人が彼に反対し、彼を嫌いました。その中でも偽預言者たちは、神の託宣を偽り、虚偽の言葉を語り、エレミヤの預言を打ち砕こうとしました。エレミヤはあるときは逃げ、ある時は鎖につながれ、あるときは辱められ、ある時は獄に入れられ、幾度となく死から逃れました。彼の内側の心の苦痛や恐れは、外側での逆境よりもさらに大きなものでした。王と民の背信とかたくなな心のため、彼はとても憤慨しました。神の怒りと裁き、来たるべき来臨のために、彼はひどく悲しみ、心を痛めました。長年の苦労した働きの効果が全くなく、彼は何と耐え難かったでしょう! 人は彼のことを敵の内通者であり、バビロンのために語っていると見ていました。実際はそうではなく、彼は神の託宣を受け、神がバビロンを用いてユダを裁くという予言を語り、同時に神が厳格にバビロンを裁くという予言を語ったのでした(五〇―五一章)。
後になって、バビロンの護衛長のネブザラダンは彼を解放し、彼にバビロンに共に来るなら、彼を世話すると保証しました。しかしエレミヤは拒否し、エルサレムにとどまり、その後にミヅパへと行きました(四〇・一―六)。そして最後には、アザリヤとヨハナンらの親エジプト派の者たちが彼を強制的にエジプトへと連れて行きました(四三・六―七)。伝承によれば、彼はエジプトのタパネスの地で、ユダヤ人に神の言葉を伝えているとき、暴徒化した群衆に石で打ち殺されました。
エレミヤの務め
エレミヤが神に召されときは、ちょうどユダ王国が日ごとに衰退している時期でした。国外の状況は、隣国のアッシリア、エジプト、バビロンなどの強国が虎視眈々と侵略する機会を伺っていました。国内の状況は、上は王や首長たち、下は民に至るまで、みなが神を棄て、偶像を礼拝し、道徳は堕落していました。ヨシヤの時代において復興が一度ありましたが、一時的なものでした。エホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、ゼデキヤの四人の王の時代に、また「エホバの目に悪を行なった」のです(五二・二)。これがエレミヤの当時の背景であり、彼はそのような状況の下で神の言葉を語りました。
エレミヤの務めは、ヨシヤの統治の第十三年(紀元前六二九年)から始まり、ヨシヤの子ゼデキヤの第十一年(紀元前五八八年)まで、すなわち捕囚まで続きました。エレミヤは四十一年間務めをし、少なくとも三回の捕囚がありました。最終的に、イスラエルの子たちのほとんどすべてが捕囚になり、神の目に、神の選民としての彼らの歴史は終わりました。エルサレムは破壊され、宮は焼かれ、民は連れ去られ、神はイスラエルを放棄されました。エレミヤと同じ時代の預言者、ハバクク、ゼパニヤ、ダニエル、エゼキエルは、ある者はバビロンへと捕囚されました。しかしエレミヤは先祖の地、エルサレムにとどまりました。エレミヤはユダで務めをしました。彼はエジプトへは行きたくありませんでしたが、反逆者たちは彼を捕らえ、彼をエジプトへと連れて行ったので、最後にはエジプトで短い期間、務めをしました。
堕落した神の選民が捕囚へと至る過程において、エレミヤは神のために語る勝利者でした。彼は内憂外患が増す状況の下で、出て来て神の使命を担いました。挫折や、困難を経験しましたが、彼はいつも後退することなく、神の側に立ちました。彼は、王や、首長、祭司、預言者、民の前で警告と預言を伝えました。それが受け入れらないで、その逆に殺されるかもしれないことを知っていましたが、彼は語ることを少しも保留しようとはしませんでした。彼は忠信であり、従順で、勇敢で、忍耐があり、誠実で、柔和であり、そして思いやりのあるという性情において神と一でした。そのすべてはわたしたちの模範であり、わたしたちが学び、従う価値があります。彼の働きは人の前では何の効果もなかったようですが、神の御前においては成功でした。
今日、主の回復の中で、わたしたちも反対、罪定め、拒絶に直面しており、わたしたちも神のために戦わなければなりません。主がわたしたちをあわれんでくださり、わたしたちがエレミヤと同じように、神に召され、遣わされるだけでなく、神によって装備され堅固な都とさえなり、神と完全に一となり、神をわたしたちの武器とし、神のために戦うことができますように。
記事は日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」第5期第1巻より引用