「栄光の神を見た」

「栄光の神を見た」 証し

1. 生い立ち(主と出会う前)

一九五〇年の後半、関西のある町の四人兄弟の末っ子として生まれました(姉二人、兄一人)。わたしたちの世代は、しらけ世代とも呼ばれ、無関心、無感動 無責任の三無主義、と呼ばれた世代でした。経済成長とバブル崩壊の狭間に青年時代を過ごしました。小さなころから、まじめで、気弱で、おとなしい、いわゆるよい子でした。地元で小、中、高を出、大学へも自宅から通い、地元の会社へ就職しました。同僚とテニスをしたり、友人と旅行をしたり、スキーに行ったり、いわゆる当時の普通の若者の生活を送っていました。将来に特に不安も感じず、なんとかなる、まあこれでいいかと思っていました。この小さな会社でも、まあいいか、こんな自分でもまあいいか、がんばらなくても、まあいいか、人生こんなもんか、というような気持ちで生活していました。

 

2. 変化(主との出会い)

そのようなわたしに、ある転機がおとずれました。環境の変化がありました。一九八〇年の前半、仕事の関係で海外、台湾に一年ほど行く機会を得ました。台湾での関連会社の中に、男性も女性も数人のクリスチャンの方たちたちがおられ、ある日、福音集会へと誘われました。時間ももてあましており、抵抗感もなかったので、誘われるままに、参加してみました。当時は、教会というので、なにか静粛な場所で賛美歌などが流れ、前で牧師が説教するというようなイメージを持っていました。しかし、わたしが入っていったその場所は、外観も雰囲気的にも、とても明るいところでした。人が大勢集まり、全員が大きな声で楽しそうに歌を歌い、そして講壇では、元気よくしゃべっている、普通の服装をした人がいました。「これが教会なの? へえー!」という驚きがありました。

言語は中国語で、通訳をしてくれる人はいたのですが、あまり慣れておられなかったこともあり、語られたことの内容はよくわからない状況でした。集会は二日間連続でありましたが、それでもわたしは二日とも出席していました。

内容はよくわからないままでしたが、その集会の雰囲気や、クリスチャンたちから伝わってくるなにかを感じました。集会の最後の時に、神を受け入れる方は立ち上がってくださいと言われ、「自分はまだよくわからないが、神を否定しているわけでもない、その理由もない‥」。気がつくと、わたしは立ち上がっていました。神は愛であるという言葉を聴き、なんとも言えない温かさのようなものが、わたしの心の普段は触れられないところに触れました。クリスチャンになるのは、何かの宗教団体に登録して、会員になるというようなことではなく、神が愛、光、義であることを啓示され、神の命を受け入れることによるのだと知りました。そして主イエスの名を呼び、水の中に入る、バプテスマを通してそれを得ることができることを知り、バプテスマされました。

あとで聞いたのですが、わたしを連れてきた人たちは驚いたと言っています。

実は、わたしを誘った人たちは、わたしをこの福音集会に連れてくるのが目的だったのではなく、その中の一人のフィアンセがまだ主イエス・キリストを受け入れておらず、彼に福音集会に出てほしかったため、知り合いの海外から来ている日本人が福音集会に行きたいと言っていたので車で送ってくれるようにと頼んでいたのです。その方は、その時は集会に出ず、車の中で待っていたそうです(でもその方もその後に主イエス・キリストを受け入れられたと聞いています)。こういう状況だったので、特に期待もしていなかった、ただ口実に連れてきた日本人が神を信じると言って立ちあがったことに驚いたのです。

その後、神の計画(エコノミー)とはどのようなものであるのかを更に知り、真の命、平安、喜びを少しずつですが知りました。その後も教会の集会やクリスチャン(兄弟姉妹)との談話等を通して、さらに主イエスのことを知り、経験することができました。わたしの内側には、活力のあり、わたしに関心をもたれ、感動を与えてくださる神がおられます。

 

今の感想

もうすぐ六十歳になりますが、二十代半半ばで台湾へ一年行き、そして日本に戻り結婚して、三十歳で転勤により関東へ行き、四十代後半で海外転勤となり、中国で七年弱暮らし、また日本にもどり現在に至っています。 国内外、どこにいても常に主イエス・キリストがわたしと共におられ、守られてきたことを証しできます。どこに行っても、キリストのからだとしての教会があり、その肢体であるクリスチャンの兄弟姉妹の愛、顧みがあったことを神に感謝します。

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