神を求めない裁判官が伝道者となった

証し

法律は人の邪悪な性質を変えることはできない

わたしは大学に進学した後、放蕩な生活をしていました。一面で高等な教育を受けていましたが、もう一面で悪い友人と知り合い、罪を犯し、邪悪な行ないで身も心も腐敗していきました。わたしは法律を勉強していましたが、行なっているこれらのことは罪であることを知りませんでした。みながこのように行なっているので、これらは罪ではないと思っていました。

それから裁判官の資格を取り、常に案件を裁きましたが、犯罪の種類は、想像を絶するほどあり、きりがありません。なぜ世の人はこのように腐敗しており、歯止めがかからないのかとわたしはよくため息をつきました。国の法律はあらゆる刑罰を定めており、極めて厳格なものになっていますが、法を犯す者は依然として法を犯し、法律に対してあたかもないように思っているほどです。
まさに聖書で告げているように、人は罪の奴隷となっています(ヨハネによる福音書第8章34節)。まさに罪を犯し、悪を行なうことは自分によりません。あの邪悪な者の中に横たわって、意のままにもてあそばれていてもそれを自覚していません。何とあわれで嘆かわしいことでしょう! 人は善を行なうことにおいて無力であるとわたしも深く感じています。まさに聖書で言っているように、「すべての者はそれてしまい、彼らはことごとく無用になった . 善を行なう者はいない.そのような者は一人もいない」(ローマ人への手紙第3章12節)。人は何と暗く、弱いことでしょう!

神がわたしを尋ねた

わたしは罪を犯していることを知っているだけで、神を求める心はありませんでしたが、神はわたしを尋ねて来られました。後にある裁判所の同僚は、ビジネス専門学校の教員職の兼任をわたしに紹介してくださいました。二か月ほど過ぎ、学校のある同僚がわたしに告げてきました、「今、良いお知らせがあります。学校は五日間福音の伝道集会を持つことを決定しました。もっぱらまだ主を信じていない教職員と学生のために用意したので、必ず参加してください」。わたしは言いました、「わたしはキリスト教の教理に対して本当に興味がありません」。彼は言いました、「今回の伝道集会は人を救うキリストの福音をおもに語ります。もし、あなたが五日間参加するなら、あなたが救われることを助けます」。

こうしてその日がやってきて、伝道者が来られました。一日目に神がおられることを語り、二日目にキリストを語り、三日目に十字架を語り、四日目に聖霊を語り、最後の日は聖書を読むことを語りました。聞き終えた後、十分に理解できませんでしたが、いくらか味わいがありました。最後の日に学校のある同僚がわたしに言いました、「あなたはひざまずいて祈るなら、救われます」。わたしは言いました、「わたしはまだ理解できていないのに、どのように祈ったら良いのかわかりません」。彼は言いました、「あなたに祈ることを教えます。わたしが一句祈るので、あなたも同じように祈ってください」。言い終えた後、彼は床にひざまずき、わたしもひざまずくようにわたしを引っ張りました。相手に申し訳ないので、片足をひざまずいて、片足を曲げて対応しました。彼は一句祈ると、わたしも一句祈り、祈り終えた後、何の反応もなかったので、この同僚に聞きました、「このように祈ることは何の意味があるのでしょうか?」。彼は言いました、「あなたは必ず救われます」。彼が言ったことは、間違いなくまことのことでした。このひざまずいて祈ったことは、わたしが救われることに対して実に大きな関係がありました。

二回主イエスに祈った

その祈りの後、心の中で思いが転換しました。ここの同僚を思い出すとき、中国人がおり、外国人もいます。彼らの学問はわたしよりも良いのに、なぜ彼らはキリストを信じており、またあのように熱心なのでしょうか? この中には必ず理由があって、わたしも少し研究しても良いのではないかと思いました。ある日、キリストの信仰に関する書籍を読んでいたとき、「イエス狂」と呼ばれている学生はわたしを見て言いました、「これらの本をもう読まないでください。一番良いのは、今晩静かな部屋に入って、罪の告白の祈りをして、自分が罪人であることを主イエスに認めることです。そうすれば、あなたは救われます。今晩試したらいかがでしょうか?」。そのとき、わたしは心の中で思いました。もし、このように祈って効果があるなら、わたしは真に救われることができます。もし効果がなくてもわたしには何の損失もないので、試す価値はあります。

夜になって、家族がみな眠った後、わたしは空き部屋に入り、隠れて一人でひざまずいて祈りました、「主イエスよ!あなたは救い主です。わたしは罪人です。わたしは生涯において多くの罪を犯しました。あなたは十字架上でわたしの罪をすでに担われました。わたしの罪を赦してください」。祈り終えて起き上がり、自分を見てみましたが、あまり変わりはなく、心の中でも何か変わったことを感じなかったので、観念を変えました。わたしの祈りがまだ十分に切実ではないと思い、わたしは再びひざまずいて切実に罪を告白して祈りました。そのとき、救い主イエスはわたしの罪を一つ一つ照らしてくださいました。わたしは自分が良い人であると思っていましたが、こんなにも邪悪で腐敗しているとは思いませんでした。だいぶ昔に忘れ去られた罪が今わたしの目の前に浮かび上がったので、わたしは以前犯した罪を一つ一つ告白し、主イエスの赦しを懇願し、涙を流すほどまでに切実に求めました。告白した後、心の中はとても軽く、心地良くなりました。そのときはよくわかりませんでしたが、その日の夜において切実に罪を告白した後、罪は赦され、主の聖霊がすでにわたしの心に入り、わたしを再生して、わたしは救われた者となったことを後に知りました。

命に変化があった

わたしは喫煙者でしたが、救われるその日の午後、仕事へ行く途上で、たばこを取り出して吸おうとしましたが、心の中で突然たばこは吸えないという感覚があり、わたしはすぐ主に祈って言いました、「主よ、わたしがたばこを吸うのをあなたは願わないなら、吸わないように力を与えてください。そうでなければ、わたしはあなたを真の神であると信じることができません」。そして本当に力がやってきて、わたしはたばこを捨て、その日からたばこの嗜好がわたしから完全に落ちていきました。わたしはまた、賭け事が好きでした。救われて間もない頃、ある同僚はわたしをマージャンに誘いました。そこに到着して五分も経たないうちに、内側がとても心地悪く、言い難い気持ち悪さを感じたので、早めに去りました。その晩から、賭け事の嗜好もわたしから落ちていきました。しばらく日々が経ち、ある同僚の転勤が決まり、わたしと同僚たちは酒場で送別会を行ないました。わたしは酒好きで、毎回酔うまで飲んでいました。その日もたくさん飲み、家に帰ったときにお腹に激痛が走り、とても苦しみました。以前に飲酒してもこのようなことになったことはなかったので、これはわたしが飲酒しないようにする主の懲らしめであったことを理解しました。そしてわたしは主に静かに祈りました、「主よ、もしわたしが飲酒することをあなたは喜ばないなら、今後わたしが飲酒する者とならないように恵みを与えてください」。その日から、わたしの酒好きもなくなりました。

裁判所の同僚たちはわたしが主を信じたことを知ると、あざけて笑い、嫌みを言い、辱め、ののしるまでになりました。あるとき、わたしは我慢ができなくなり、彼らと大いに言い争い、もう少しで手を出すまでになりました。後に心の中でとても不安になり、内側で主に叱責されて、「あなたは彼らに寛容である必要があります。言い争うべきではありません」と言われた感覚を受けました。こういうわけで、わたしは彼らに謝りました。このときから、彼らがどんなにあざけて笑い、嫌みを言い、わたしの悪口を言ったとしても、わたしは彼らを許し、もはや言い争ったり、衝突したりすることはありませんでした。わたしの気性は確かに多く変えられました。

主に感謝します。わたしが救われた後、主のあわれみにより、常に彼の恵みによって導かれ、彼の道に従うことができました。主の愛はわたしを励ましたので、わたしは自分自身を徹底的に主にささげ、仕事から離れ、主のために出てきて伝道をしました。わたしは立派でなく、よく彼の期待に応えられないことがありましたが、彼はわたしのような卑しい者を顧みてくださり、彼に仕える機会を与えてくださいました。願わくは、誉れが永遠に彼に帰されますように。アーメン!

詩歌(わが命に大変化あり) 習志野に在る教会作成

記事はJGW日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第5期第4巻より引用