この恵みは命の霊の法則によって、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則から、わたしを解放しました。人の「わたしは善をしようと欲するのですが、善を行ない出すことはない」という矛盾に対して、以前にわたしは深く同感していましたが、今日わたしは真の答えを得ました。
仏門に入ったが、思想改革のようだった
大学時代、わたしの専攻は外国語学科であり、よく哲学の書籍を好んで読んでいました。常に自分の命の中に欠け目を感じて、哲学で回答が求められると思っていました。しかしながら、古今東西の有名な著者、西洋の古典から近代にある主義、儒家、道家、法家に至るまで読みましたが、わたしの心にある空虚と無力さは日ごとに増していきました。
大学卒業後の二年目に、「文書研究会」のクラスメイトたちと旅行で花蓮という場所へ行き、夜は仏寺で宿泊しました。その晩に「晩課」というものに参加し、講演者の「人生は無常であり、解放されることをすぐに求めるべきである」という言葉に心を打たれ、多く涙しました。少し「大蔵経」を読み、これがわたしの追い求めるものであると決めました。そして、出家することを決意し、修行に専念することによって生を理解し、死から逃れ、涅槃(仏教における理想の境地)を知り、永遠の命を修得することを期待しました。
二十六歳から四十九歳は、人生における黄金の年月であり、それらは出家の日々の中で過ぎ去っていきました。出家生活は想像していたように純粋ではなく、俗的な事柄にかかわることから免れることはできませんでした。なぜなら、仏教会で行政の仕事をしているとき、あらゆる人間関係の虚偽を見たからです。その後、仏教学院で教職に十年ほど携わり、仏教学理論の研究と実践、及び密法の修練に入り込むことができました。最終的に、彼らが名声、利得のために互いに争っていることを目にしました。自分はそこから完全に退きましたが、仏門の中でもこのような状況であるなら、浄土とはいったいどこにあるのだろうかと心で思っていました。
自分を思い返してみて、単純な大学生のころに、仏教を選びましたが、いつの間にか他人の争いに巻き込まれていました。これは浄土なのか、ただの思想改革だったのでしょうか?
この世に対して、わたしはすでに望みを持っておらず、ただ来世の極楽浄土に期待するしかありませんでした。このようにして閉じこもって修行して約半年がたち、あるアメリカの年配の僧侶がやって来て、アメリカで仏教学院の開校の助けをするようにわたしを招待しました。多くの青年を育成することはわたしの理想でもあったので、わたしの中で希望の火が燃え上がりました。一九九七年九月三日、わたしは仏教教育の憧れと抱負を胸に、アメリカに行きました。ただ心配だったのは、再び良心の選択ということに直面して、ただ痛みをこらえて離れ去ることしかできないということにならないようにということでした。なぜなら、わたしは、あの「多く行なって、多く間違えた」という状況に再び入りたくなかったからです。こういうわけで、わたしはあらゆる所へ旅することを決心して、高徳な僧侶に出会って悟りを得ることを期待しました。そうすれば、わたしの半生の苦行が無駄にならないと思いました。
「信仰による義認」によって新しい命を得る
アメリカに滞在していた期間に、大学時代に最も親しかったクラスメイトと連絡が取れました。彼女は、イエスを信じたことをわたしに告げ、一緒に集会に行くように招きました。アメリカはキリスト教の国であるので、少しのぞきに行ってもよいのではないかと思い、わたしは彼女に応じて共に行きました。集会の中で、伝道者は言いました、「罪を告白して悔い改め、主イエスを信じることによってのみ救いを得て、永遠の命を得ることができます」。当時、わたしは心の中で良い感覚を持ちました。仏教の思想もよく懺悔するように人に勧めますが、惜しいことに、良心に背く、虚偽と偽善の者が多くいます。やはり、義人はいません。一人もいません。
確かにわたしは、この「信仰による義認」の福音に感動しました。以前の仏教の中で、宇宙、天地、万物を創造された神がおられることを認めませんでしたが、今日、「自ら存在し、永遠に存在する」、「昔おられ、今おられ、やがて来ようとしておられる」神がおられることを知りました。わたしは真に彼が神であることを信じることを願いました。そして、心の中で隠れて黙祷して言いました、「主イエスよ、あなたが真実であるなら、わたしを訪れてください」。
当時わたしはまだ袈裟(僧侶の服)を着た僧侶でした。集会後にクラスメイトはわたしを寺の宿舎に送ってくれました。ただわたしの手には包装されている一冊の聖書が加えられていました。数日後、時間があるときに、わたしは聖書を開いて読みましたが、その中にある言葉に強く賛同しました。不思議なことに、主を信じるようにとの呼びかけがわたしの心の中から絶えず湧いていました。しかし、わたしの人生はすでに百の半分近くまで来ており、このような信仰における大きな転換をすることは、ばかげたことであり、決して容易なことではありません。内側にあるあの強烈な呼びかけに抵抗するために、わたしは近隣のあるクリスチャンの家庭へ行き、彼にこう告げました、「わたしの気が狂っていない限り、わたしはイエスを信じることはできません」。わたしはこのことを言えば済むものだと思い、また自分は集会には決して行かないと決心しました。
それからの日々において、わたしは完全に無意識に動いていました。クラスメイトがわたしを誘うなら、わたしはためらいもなく集会について行きました。なぜかよくわかりませんが、わたしは壇上に上がって証しし、さらにはみなの前でこう告げました、「わたしは今日、みなの前で主イエス・キリストを言い表します。主イエス・キリストも必ず天の父の御前でわたしを言い表します」。こう言い終えたとき、自分も驚きました。わたしは本当に、権威を持たれた、主権ある神がわたしたちの中におられることを経験しました。わたしは内側の激しい感情を抑えきれず、自らバプテスマされることを要求しました。
罪と死の法則から逃れる
一九九七年十一月十六日に、わたしは袈裟を脱ぎ、主の御名の中へと喜んでバプテスマされました。現在に至るまで、聖霊は自らわたしを導いており、わたしは積極的にあらゆる場所で福音を宣べ伝え、主の証しをしています。同門だった師弟は、わたしを反逆者であると非難したり、わたしには修行が足りず、途中であきらめてはならないと挽回したりしようとしましたが、主の霊がわたしの中で、神の言葉をもって自らわたしを慰め、力づけ、そして機会あるごとにわたしを照らしてくださいました。主を信じる前、自分が思い込んでいたこと、経典にあった修行の領域は、実は完全にサタンの策略でした。今や、主ご自身がわたしの以前に思い込んでいたこと、持っていたことをすべて除き去ってくださいました。主は、わたしの自己、旧創造、天然を取り除いただけでなく、聖霊としてわたしの中に住み、彼がわたしの命であることを啓示し、わたしの中で生きておられます。このことでわたしは、神の救いが何と広大であるかに驚きました。
神のあわれみがなければ、わたしは良くて井の中の蛙であり、以管窺天(管の穴から天をのぞき見る)であり、得意気に吐納(体内の古い気を吐き、体外の新しい気を取り入れる呼吸法)、禅の修行に陶酔して最終的に寂しく孤独の中で死んでいました。しかしながら、この恵みを、神はすべての知恵と思慮の中で、わたしたちにあふれるばかりに及ぼしてくださいました。この恵みによって、わたしは自分の過去が何とあわれで、おろかであったかをはっきりと見通しました。そうです。人の義は、ただ律法の下におり、肉の死の中にいるだけです。しかしながら、この恵みは、命の霊の法則であり、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則から、わたしを解放してくださいました。人の「わたしは善をしようと欲するのですが、善を行ない出すことはない」という矛盾に対して、以前にわたしは深く同感していましたが、今日わたしは真の答えを得ました。
生ける水の泉は渇きをいやす
わたしは、主を知らず、また好んで虚偽と偽善をする者たちに同情します。なぜなら、彼らは肢体の中にある罪の法則にとりこにされており、罪と暗やみの中で死に、自分が何を行なっているかもわからないからです。神の恵みによって、わたしたちは無代価で彼の与える永遠の命を受け入れたのでなければ、だれが知ることができたでしょうか? 救われたあの日、主はわたしを照らし、半生の修行はただわたしに渇いている井戸を与えるだけであることを見せてくださいました。今や、生ける水の泉である彼を持っており、わたしの渇きがいやされただけでなく、彼はさらにわたしを通して多くの渇いている人を供給されます。(福音の証し集、第八集、中文)
詩歌(命の泉、深く甘い) 習志野に在る教会作成
記事はJGW日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第3期第3巻より引用