暗やみから光へ

証し

聖書は、イエスが「権威と力をもって汚れた霊どもに命じると、それらが出て来」たことを記していました。
わたしがここを読んだとき、驚いて何も言えませんでした。
なぜなら、悪鬼を追い出すことはわたしの専門ですが、
このように悪鬼を追い出す人を見たことはなかったからです。

わたしは道教信仰の伝統的な家庭に生まれました。わたしが二歳過ぎに言葉が話せるようになってから、よく母親にこう尋ねました、「だれかがうちに来ているけど、なぜ彼の相手をしないの?」。はじめの頃、母親はわたしがでたらめに話していると思っていました。しかし、それから小学二年生になったあるとき、家に他人が全くいないのに、わたしは母親に「なぜだれかがそこに座っているの?」と言いました。こうして母親は、わたしに何かがあると感じ始めて、わたしがこのような話をしないように命じました。

小学四年生のとき、母親は福音集会に招かれて参加し、家に帰ったとき、わたしに対してこう言いました、「主イエスがわたしたちのために死んだのは、わたしたちを救うためです。あなたはこのような神を信じなければなりません」。母親の催促の下で、わたしははっきりしないままバプテスマされました。

小学五年生のとき、わたしは生まれながら世間で言う、いわゆる「霊界の目」を持っていることに気づき、霊界のものを見ることができました。小さい頃に見えたものは何事もなかったのですが、自分が大きくなった後にそれらの「人」にいじめられ、遊ばれて恐れと苦しみを感じていました。当時、主イエスはわたしの問題を解決することができないと思っており、召会へ行っても退屈だったので、中学卒業後に集会に行かなくなりました。

わたしが職業に就いたとき、そこの社長が熱心に偶像礼拝していたので、わたしも彼について行って、あらゆる所で偶像を礼拝しました。偶然に、わたしは台北市で有名な悪鬼を捕らえるという師匠に出会いました。彼はわたしを見るなり、すぐにわたしの悩みを指摘しました。彼はわたしに、「あなたは人を救う御旨のために生まれました。あなたはすぐにわたしを師匠とするべきです」と言いました。わたしは、「悪鬼にいじめられないよう、わたしの問題を解決することができますか?」と言いました。師匠は率直に、「できます」と言いました。こういうわけでわたしは直ちに技術を学ぶために弟子入りしました。

そのとき、わたしは昼間に師匠に従って修行して術を学び、夜寝るときに見えない神々の訓練を受けました。五年後、わたしはすでにその教団で師匠に代わってすべての事務を処理し、かなり高い術を習得し、風と雨を召喚でき、将兵を遣わすこともでき、占い、風水を鑑定でき、天国へも地獄へも行くこともできました。しかしながら、わたしの内側は、修行すればするほど、ますます疑惑に満ちてきました。

わたしの最大の疑問は、神々が高く上にいるのに、なぜわたしは神々を指図することができるのかということです。次に、わたしが術の修行を始めた後、小さな悪鬼は恐れなくなりましたが、さらに大きな悪鬼がやってきました。わたしは内側で、なぜわたしの法力が高くなっているのに、内側ではなお悪鬼を恐れているのかと思いました。わたしが師匠に原因を尋ねると、彼はこう答えました、「わたしのような高い術まで訓練しなければできない!」。しかし、師匠でさえ解決できないことに出遭った後、わたしの内側は修行すればするほど、ますます恐れるようになりました。「なぜ神々は悪鬼にさえも勝てないのか?」

この頃、母がわたしの状況を召会に告げたので、多くの兄弟姉妹はわたしのために祈っていました。あるとき、母を集会へ車に載せて行き、何となく母と集会所の中へと付いて入って行きました。突然多くの兄弟姉妹たちに囲まれて、わたしが拝んでいるのは悪鬼であり、まことの神ではないとわたしに告げ、また主イエスに祈るように言いました。その時わたしは気分を害されてこう思いました、「わたしは毎日神々と共にいるのに、あなたがたに何がわかるのか!」。しかしながら、ある年配の姉妹が言いました、「あなたは何でも読んだことがあるのだから、聖書一冊読んだところで損はないでしょう」。不思議なことに、彼女のこの言葉をわたしは聞き入れました。

ある日、わたしは暇でやることがなく、母の聖書を持って来て読んでいたときに、直ちに主イエスが悪鬼を追い出す箇所を見つけました。そのときに、イエスがわたしと同業であると発見したのです! 聖書は、イエスが「権威と力をもって汚れた霊どもに命じると、それらが出て来る」ことを記していました(ルカによる福音書第4章36節)。わたしがここを読んだとき、驚いて何も言えませんでした。なぜなら、悪鬼を追い出すことはわたしの専門ですが、このように悪鬼を追い出す人を見たことはなかったからです。わたしの師匠でさえもこのように悪鬼を追い出すことはできません。わたしたちはみな悪鬼に対して法力で競い、あるいは御札を使い、あるいは法力ある武器などを使って悪鬼を追い出し、悪魔を退治します。法力が強いなら悪鬼を追い出すことができますが、悪鬼より法力が弱いなら無力です。他の強い者に頼むしかありません。しかしながら、主イエスは語ることで悪鬼を追い出し、悪鬼に命令し、さらには悪鬼どもがみな彼に聞き従いました。このイエスという人はどんな方なのでしょうか?

わたしは好奇心で読み続けて、悪鬼を追い出したイエスは神の御子であることを知りました。わたしは、「神の御子とわたしが拝んでいる神々とどう違うのか?」と思いました。わたしは聖書で用いている『権威』という言葉に注意を払いました。このイエスには権威があり、悪鬼に命令することができるということは、彼は悪鬼より偉大であり、悪鬼でさえ彼に聞き従わなければならないということです。この時、急にわたしが拝んでいるのは神々ではなく、悪鬼であると理解しました。わたしがこれらの神々の法力を使って悪鬼を追い出したのは、悪鬼をもって悪鬼を追い出すことでした。こういうわけで追い出すことに苦労したのです。そのとき、兄弟姉妹がわたしに対して主に祈る必要があると言ったことをわたしは思い出しました。そしてわたしは主に言いました、「主イエスよ、今わたしはあなたがまことの神であると信じます。あなたには権威があり、悪鬼を管理することができます。わたしはあなたを信じたいのですが、どのようにしたらよいでしょうか?」

わたしは誠実に祈った後に寝てしまいました。朝目覚めたとき、自分にはもう法力がなくなっていることに気がつきました! わたしは、「これではおしまいだ。以前は自分に法力があったのにもかかわらず、悪鬼どもがよく悩ませに来た。今は少しの法力もない!」と思いました。しかしながら、わたしが落ち着いたとき、法力はなくなりましたが、霊の目はまだ持っていました。わたしはよく見ると、多くの悪鬼どもが遠くからわたしを見つめているのですが、近寄って来ないことに気がつきました。このときに、大きなことが起きたとわたしは気がつきました。何が起きたかは分かりませんでしたが、必ずイエスと関係があると思い、わたしはすべての疑問を下ろして集会に行きました。

集会の後、わたしは召会の中には光と愛が満ちていることを見いだしました。夜中にあの祭壇を扱う薄暗い感覚とは雲泥の差です。最も重要なのは、この主イエスは本当にわたしの問題を解決し、悪鬼がもはやわたしを煩わしに来なくなったということです。わたしは徐々に理解しましたが、わたしが聖書を読んだその日の夜、主に祈ったとき、わたしの心は真に彼に開いたので、その時わたしは真に救われました。

わたしがこのように主イエスを受け入れたとき、彼は確かにまことの生ける神であることを経験しました。もはやわたしは思い煩って暗やみの中に生きることはありません。そして徐々にわたしは霊界のものも見えなくなり、神の救いが完全にわたしを解放しました! 神に感謝します。彼はわたしを暗やみから救い出し、彼の光の王国へと移してくださいました。何という喜びでしょう! わたしはもはや今、暗やみの権威の下にいるのではなく、光の王国の中に生きています!

詩歌(悲しみの闇から)   習志野に在る教会作成

記事はJGW日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第1期第5巻より引用