福音Q&A  神はなぜ人と成ったのか? (2)

福音メッセージ

福音Q&A ”神はなぜ人と成ったのか?(1)”の続きです。

聖である
神は聖であるので、当然神の命も聖であり、汚れと相容れることはできません。いかなる状況において汚れることはできません。また、積極面において光、清さ、神聖さを現し出します。

義である
神は不義なことを行なったことはなく、法に背いたり、約束を破ったりしません。神ご自身がそうであるように、神の命もそうです。彼は絶対的に義であり、すべての不義である不法のことに対して、彼は容認することはできません。

力強い
神に打ち勝ち、神を押し倒し、神を征服することができるものはありません。また、神に不可能はありません。なぜなら神は力強い方であるからです。神が力強いように、神の命もそのように力強いのです。試みは神の命に勝つことはできません。危険によって押し倒されません。情欲によって征服できません。彼の命に出来ないものはなく、人に負えない負担を担うことができ、人のできない生活をすることができます。

永遠である
神は永遠から永遠に至るものであるので、神の命も永遠から永遠に至るものです。神の命は時間の外におり、無期限、無制限であり、永遠の永遠です。
以上の対比から、わたしたちは、神の命の特徴はまさに人の命にはないということがはっきりしました。神の命のみが人を救うことができます。もし、人が神の命を得たなら、この時代において命の造り変えを持ち、聖である、義の、力強い生活を持つことができるだけでなく、将来において永遠の祝福を享受することができます。


ヨハネの第1の手紙 第5章12節は言います、「御子を持つ者は命を持っています.神の御子を持たない者は命を持っていません」。ヨハネによる福音書 第10章10節において、主イエスは言いました、「わたしが来たのは、羊が命を得、しかも豊かに得るためである」。この二つの節はみな、神の命は彼の御子イエスの中にあることを告げています。人の命はよくありませんが、神は彼の御子である主イエスを通してご自身の命をわたしたちに与えてくださいます。

人の中にある命は腐敗しており、いかなる方法をもって治したり、外側の行ないを改善したりしても、何の助けにもなりません。内側の命の腐敗は、外側の方法によって治したり、補ったりすることはできません。命の腐敗した人を救いたいなら、唯一の方法は彼が神の命を得ることです。神の命が人の中に入ったなら、命の根本的ないやしを得て、救いを得ます。

友人のみなさん! もし、あなたが神の命を得たいなら、あなたはこのように祈ることができます。
(一)自分の命は腐敗しており、神の命によっていやされる必要があること、また神の命だけが救うことができることを認めます。
(二)神の御前で心から悔い改め、自分の罪を憎み、自分のすべての罪を神に祈って告白し、神に赦しを求めます。
(三)あなたの罪を担うために、神の御子である主イエスが十字架上で血を流して死んだことを心から認めます。そして彼は死から復活され、昇天されたことを信じます。彼をあなた個人の救い主として受け入れます。

あなたがこのように信じるとき、命を与える霊である主イエスはあなたの中に入ってこられ、あなたに神の命を得させます。神ご自身が人と成られ、十字架上で贖いを成し遂げられ、復活して命を与える霊となられたことは、あなたが信仰を通して彼の命を得るためです。


日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第2期第4巻より引用

 

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