福音Q&A なぜ神は苦難が起こることを許されるのか?

福音メッセージ

神の当初の創造において、すべてはすばらしかったのです。人が創造された後、神によって美しいエデンの園に置かれ、園の中には見て喜ばしいあらゆる木があり、その上には食べるに良いあらゆる実があり、園全体が神の守りと顧みの下にありました。神は人の供給であり、神は人の喜びであり、神はまた人の保護でした。神の臨在があれば、心配はありません。神の臨在があれば、人には欠けるものはありません。神の臨在があれば、人は喜ばしい園の中に生活することができます。

今日人類が経験しているすべての天災、人災、苦難はみな神の当初のみこころではありませんでした。神は、人が苦しむことを望んでしませんでした。天災、人災、苦難は人の堕落の結果であり、人が堕落した後から現れたものです。人がサタンに欺かれ、誘惑されたので、罪を犯し、堕落し、神に反逆し、神に対して罪を得ました。ですから、全人類が神の裁き、罪定めの下におり、他の被造物までも神ののろいの下にいます。


神は愛の神であり、全能の神であるので、すべての苦難を取り除けばよいのではないでしょうか? よくありません! 神は愛の神であるだけでなく、義の神でもあります。彼は世の人を愛していますが、彼の愛は、彼の義の法則に従わなければなりません。人が堕落した後、神は世の人に対する愛を変えることなく、なおこの世の人を愛しました。ヨハネによる福音書 第3章16節は言います、「神はそのひとり子を賜わったほどに、世の人を愛された.それは、彼の中へと信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を持つためである」。神は世の人を愛しますが、どのように彼の愛を表現し、実現するのでしょうか? 彼はすべての苦難をすぐに取り除くのではありません。もしそうするなら、神は不義です。なぜなら、神の義の法則によれば、罪の結果は死であるからです。こういうわけで、神ご自身が人、主イエスと成りました。約二千年前に、彼は十字架上で血を流して死に、わたしたちのために贖いを成し遂げ、受けるべきのろいからわたしたちを救い出してくださいました。これは神が彼の愛を表現する法則です。

それだけでなく、彼は復活し、命を与える霊となり、彼の永遠の命を、彼を信じて受け入れるすべての人に分与しました。こうして、彼を信じて受け入れるすべての者は、永遠の裁きとのろいから救われて、神聖な永遠の命を得て、神の子供たちとなりました。
 
神の子供の数が満たされるとき、あらかじめ定められたすべての信じて受け入れる人が救われ、また彼らの命がある程度にまで成長したとき、この主は地上に再びやって来て、彼の初めのみこころを完成します。それは、地上のすべての苦難、すべてののろいを取り除き、地上でキリストを王とする、義に満たされた千年王国を建て上げます。

そのとき、「『おおかみと小羊は、一つになって食べ、獅子は牛のようにわらを食べ、ちりは蛇の食物となる.わたしの聖なる山のどこにおいても、彼らは損なうことも滅ぼすこともない』とエホバは言われる」(イザヤ書 第65章25節)。


永遠の新天新地において、すべてののろいはもはやありません。啓示録 第21章3節から7節は言います、「そして、御座から大きな声がこう言うのを聞いた、『見よ、神の幕屋が人と共にある.神は彼らと共に幕屋を張り、彼らは神の民となり、神自ら彼らと共にいて、彼らの神となる。神は彼らの目から、涙をすべて拭い去ってくださる.もはや死はなく、悲しみも叫びも痛みもない.先の事柄が過ぎ去ったからである」。すると御座に座す方が言われた、『見よ、わたしはすべての事を新しくする』。また彼は言われた、『書き記せ.これらの言は信じるべきものであり、真実だからである』。そして彼はわたしに言われた、『それらは成った。わたしはアルファでありオメガである.初めであり終わりである。渇く者には、命の水の泉から値なしに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ.そしてわたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる』」


今日の創造された物質の宇宙は、多くの災難、苦難に満たされていますが、これらのものは暫時的であり、一つの過程にすぎません。神はこの過程において、彼の救いを完成し、救いの働きを成し遂げようとしています。神は、彼を信じて受け入れるすべての人の数が満たされるまで、彼らを贖い、救い出すことを願っています。そうすれば、キリストはやって来て全宇宙を贖います。

ローマ人への手紙 第8章19節から23節は言います、「被造物は切なる期待をもって、神の子たちの出現を熱心に待ち望んでいます。なぜなら、被造物が虚無に服従させられたのは、自分の意志からではなく、それを服従させた方によるのであって、それは被造物自身も、朽ち果てる奴隷状態から自由にされて、神の子供たちの栄光の自由に入る望みがあるからです。全被造物は、今に至るまで共にうめき、共に産みの苦しみをしていることを、わたしたちは知っています。そればかりではなく、その霊の初穂を持つわたしたち自身も、自らの内でうめきながら、子たる身分、すなわち、わたしたちの体の贖いを、熱心に待ち望んでいるのです」。創造された物質の宇宙と全被造物は、なお朽ち果てる奴隷状態の中におり、神の子たちが現れるまで、贖いの過程を経験しています。そのとき、キリストは再び全宇宙を贖います。十字架上でのキリストの死は、人類を贖っただけでなく、動物、植物、全宇宙を含む全被造物を贖いました。神が願っているのは、あなたが救われ、キリストの贖いを受け入れ、神の命を得て神の子供となり、彼の命において成長して円熟することです。救われた後に福音を宣べ伝えて、堕落の中でのろいを受け、罪定めされている世の人に神の愛を伝える必要があります。このようにして、彼らも贖いを得て、救いを得ることができます。救われる人の数が満たされるとき、キリストは再臨します。

キリストが再臨するとき、全宇宙に対する贖いの働きを完成し、すべてののろい、苦難から全宇宙を救い出して、地上で千年王国と新天新地を建て上げます。新天新地にはもはや苦難はなく、神と人の結合、ミングリング、合併の永遠の祝福に満たされることしかありません。

友人のみなさん、あなたが救われて神の愛を享受し、神聖な命を得ることを願います。


JGW日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第2期第3巻より引用