宇宙の奥義は神である

福音メッセージ

天と地の存在には意義があります。万物にはみな、その存在の意義があります。
天と地の意義は何でしょうか? 天と地の意義は、天と地の奥義であり、宇宙の奥義です。
この奥義とは何でしょうか? この奥義は神ご自身にほかなりません。


宇宙は奥義の物語です。そして、聖書はその説明です。宇宙の起源に関して、わたしたちは聖書を用いて科学を測ることができます。創世記 第1章1節は、「初めに、神は天と地を創造された」と言います。これは一元論であり、多元論ではありません。天文学者であれ、地理学者であれ、物理学者であれ、彼らが研究してできた法則や定理はみな、宇宙が一元であることを証明します。人々が物理を研究すればするほど、あらゆる法則を研究すればするほど、全宇宙は一つの系統であることを見いだします。この系統の下で多くの系統に分かれて少しの矛盾もありません。もし、何人かが共に仕事をして、不調和であり、彼が少し行ない、わたしが少し行なうようであるなら、これは一元ではないでしょう。しかしながら、宇宙は大きいのですが、秩序正しく、乱れていません。これは、宇宙全体がひとりの神によって創造されたことを証明します。彼は唯一の根源です。

人類は五、六百年前に地が平らではなく、円であることを発見して地球と呼びました。神が創造した地が平らではなく、円であることは、聖書において二箇所、この事実について述べています。第一は、旧約の預言者の一人であるイザヤがこう述べています、「彼は(神)地の輪のはるか上に座し……彼は天を幕のように延べ、これを天幕のように広げて住み、」(イザヤ書 第40章22節)。これは、はるか二千七百年前に、地の輪があることをイザヤが告げていたことであり、この地は、創世記 第1章の初めに神が創造したものです。

第二は、ヨブ記 第26章7節で告げています、「彼は北を虚空の上に張り伸ばし、地を何もない上にかけられる」。ヨブ記は約四千年前に書かれた書であり、地は何もない上にかけられることをわたしたちに告げていました。これは何と不思議なことでしょう! 四、五千年前のような古代の人でも、地は何もない上にかけられていることを知っていました。今や、天文学者は地が確かに何もない上にかけられていることを証明しました。こういうわけで、聖書を用いて科学を確証することは適切なことです。

神の創造に関する聖書の記録は、創世記 第1章と第2章の前半の一章半を占めています。創世記の記録によると、神は最初に命のないもの、次に、命のあるものを創造されました。地と水と太陽と空気、これら四つの命のない項目は、命にとっての四大必要です。地と水と日光と空気なしには、生き物は生存することができません。そして生き物は、人が神を表現するという彼の唯一の目的のために創造されました。

第1章6節は言いました、「神は言われた、『水の間に大空があれ.そして水と水が分離せよ』」。ここの大空は、地球の大気層、また地を取り巻く空気を言います。原文の「大空」という言葉は、広げる、展開する、引き伸ばすという意味です。7節は言います、「こうして、神が大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分離されると、そのようになった」。わたしたちは聖書から知ることができますが、地球の大気層のほかに、空気はどこにもありません。人間が月に着陸した時、彼らは酸素を持って行かなければなりませんでした。月には空気もなく、生き物もいません。それゆえに、聖書をもって科学を確証することは、本当に正しいのです。

人の例証を述べたいと思います。科学的な研究によれば、人の体の構成要素は土のちりの要素と同じです。例えば、ちりは、銅、鉄、硫黄、りんなどの要素を含みます。多くの古代文書がありましたが、人の体は土から造られたということを告げる本は一冊もありません。しかし、聖書はすでにわたしたちに告げていました、「エホバ・神は土のちりで人を形づくり」(創世記 第2章7節前半)。

聖書はまた告げていますが、神は、口を持ち、鼻を持つ人を創造されました。それから、神が人の鼻に命の息を吹き込まれると、人は生きたもの、生きた魂となりました(7節後半)。このような聖書の記録は、科学と調和しているだけでなく、人の倫理とも調和しています。古今東西の倫理道徳家、または哲学者はみな魂、すなわち人の心理の面に関するあらゆる事柄について研究しました。

これは、聖書の記録が簡潔ですが、深遠であることを示します。それは単純で真実ですが、奥義的です。このように、だれも天と地と人が神によって創造されたことを否定することができません。聖書はそう言いますし、科学もやはりそれを確証します。

使徒行伝 第17章24節から28節は言います、「宇宙とその中の万物を造られた神は、天と地の主ですから、手で造った宮の中には住まわれません.また彼は、何か不足しているかのように、人の手によって仕えられることもありません.彼は自らすべての人に、命と息と万物とを与えられるのです。また彼は、一人からあらゆる国民を造り、地の全面に住まわせ、予定された時季と居住の境界を定められました.それは、彼らに神を求めさせるためであり、また彼らが神を捜し求めさえすれば、神を見いだすことができるためです.確かに神は、わたしたち一人一人から、遠く離れておられるのではありません.なぜなら、わたしたちは神にあって生き、動き、存在しているからです」。聖書は、神は唯一であり、宇宙万物の創造主であることを啓示しています。彼は人が造った神ではなく、宇宙万物を治める神です。ですから、「わたしたちは偶像は世で価値がないこと、また唯一の神のほか、別の神はないことを知っています。……万物は彼から出て、わたしたちは彼へと帰するのです」(コリント人への第1の手紙 第8章4節6節)

宇宙は神の永遠の力と神性の特徴を現しています。ローマ人への手紙 第1章20節は言います、「神の見えない永遠の力と神性の特徴は、世界が創造されて以来、明らかに見られており、造られた物によって認められているので、彼らには弁解の余地がありません」。人が天、地、星、太陽、月を見るとき、宇宙に一人の主権者がいることを否定できません。

全宇宙も神性の特徴を現しています。詩篇 第19篇1節前半は言います、「天は神の栄光を語り告げ」。ここの栄光は太陽、月、星の栄光と輝きに言及しています。その光の栄光は神性の特徴の表現の一つです。天はこの神性の特徴の表現を述べています。第8篇1節と3節は言います、「エホバ・わたしたちの主よ、……あなたはご自身の栄光を天の上に置かれました! ……わたしはあなたの指のわざであるあなたの天と、あなたが定められた月と星を見るとき」。これらの節からわたしたちが見ることができるのは、宇宙において現される栄光は、神性の特徴が栄光であることを説明しています。

第19篇1節後半は言います、「大空は御手のわざを告げ知らせる」。「御手のわざ」は、神の能力、知恵、才能に言及します。言い換えると、宇宙は神の傑作です。わたしたちは、「御手のわざ」を「傑作」と訳すことができるでしょう。この傑作には、知恵、巧みさ、能力、力があり、それらはすべて神性の外側の現れとしての特徴です。さらに、あなたが宇宙を見る時、あなたは神を偉大で威厳ある方として思い起こします。偉大さと威厳は、また神性の現れとしての特徴です。

さらに、宇宙は光と命で満ちています。これによって、あなたは神性が光と命で満ちているということを見ることができます。神が創造された地は、命に満ちています。植物、動物、人がいますが、それらはすべて命に満たされています。これらすべては創造主の命の特徴を現しています。神性の特質の他の特徴は、美しさです。今日、わたしたちが見ている風景は、何と美しく、わたしたちの目に何と楽しく、何と活気づけることでしょう! 神によって創造された宇宙は、本当に美しいです。美である神だけが、美しい宇宙を創造することができます。

さらに、宇宙の中のあらゆるものが、秩序正しいです。例えば人の住む地球と他の惑星の公転はみな法則があります。これは神が法則と原則を定めたので、少しの混乱もありません。これらすべてのことは、神の傑作を語り出し、神の見えない永遠の力と神性の特徴を告げ知らせています。

人の創造は、他の生物の創造と異なります。神はご自分のかたちにしたがって人を創造したのは(創世記 第1章26節―27節)、人に神を表現させるためです。人が持っているこのかたちは、神の内側にある特質が現し出された一つの状況を指します。聖書はわたしたちに告げていますが、神の特質は愛、光、聖、義です。これらの点は、旧約の十戒からはっきりと見ることができます。十戒の主要な精神は愛、光、聖、義にあります。この四つの美徳は神性の特徴です。

創造された人であるわたしたちは、かつて堕落し、腐敗しましたが、わたしたちの内側には依然としてこの四つの成分があります。わたしたちの内側には思いやりがあります。わたしたちが人に対して愛を持ち、人に対して寛大であるとき、わたしたちは内側で心地良いと感じます。もし、わたしたちが人を欺き、人を憎むとき、言い表せない苦しみを感じます。人の内側には愛があり、人々は光に心を向けています。ある人が悪事を行なったなら、他の人によって叱責されなくても、彼の内側には必ず自責があります。それだけでなく、人はみな汚れていることを行ないたくありません。みな自分は清いことを願い、公正の心を持っています。中国人はよく、「正しい道はもともと心の中にある」と言います。これは、人が創造されたとき、神の愛、光、聖、義のかたちにしたがって創造されたことを示します。人の内側にはこの四種類の美徳への傾向と愛があります。それは、人から出たのではなく、人のために神が造ったものです。

神の永遠の力と彼の内側の性質を表現する神性の特徴は、彼の創造において現されています。しかし、これはまだ格位を持つ神ご自身のことではありません。コロサイ人への手紙 第2章9節は言います、「キリストの中には、神たる方の全豊満が肉体のかたちをもって住んでいるからです」。ここで言及しているものが神の神格であり、神のパースンです。ローマ人への手紙 第1章20節で述べている神性の特徴は、被造物によって認められていますが、被造物は神の神格、パースンを証明することはできません。神の言葉である方、神を表現する主イエス・キリストが神の神格、パースン、すなわち神ご自身を現し出すことができます(ヨハネによる福音書 第1章1節18節)

主イエスが啓示しているものは、天地万物が確証しているものよりさらに深いです。わたしたちがまだ救われていない時にでさえ、宇宙を見、その中に表現された神性の特徴を見ることができ、弁解の余地はありませんでした。わたしたちが主イエスを信じた後、彼の中ではじめてわたしたちは神ご自身を知ることができます。なぜなら、主イエスは、神ご自身が人となり、死を経過して復活し、霊と成って彼を信じる者の中に入られた方であるからです。わたしたちが主イエスを信じることは、神をわたしたちの中に受け入れることです。

ヘブル人への手紙 第1章3節は言います、「御子は……彼の力ある言葉によって、万物を維持し担っておられます」。創造において、万物は言としての彼によって成りました(ヨハネによる福音書 第1章1節―3節)。宇宙は、神の言葉によって組み立てられています(ヘブル人への手紙 第11章3節)。なぜなら、「まことに、彼が語られると、それはあった.彼が命じられると、それは立った」からです(詩篇 第33篇9節)。また神は、語られ、また神の言葉をもって万物を維持しています。この維持することは連続しており、絶え間がないことです。また支えること、活動すること、管理すること、制御すること、さらに推進することを意味します。力ある神としての主イエスは、万物を支え、活動し、管理し、制御し、推進します。彼は、ただ万物が存在するためでなく、万物を支え、推進するために、万物を維持しています。これを巨大な飛行機と比較してもよいでしょう。エンジンが起動すると、飛行機は空中で維持され、保たれます。今日、宇宙の奥義が神と共にあることを否定できる人はありません。神は宇宙の意義と中心です。彼は宇宙の目的です。神なしに、宇宙全体は空虚で死んでいます。宇宙の意義は生ける神です。生ける霊として、神は偏在しています。また神は神聖なパースンです。人はただ心を開いて、神に祈る必要があります。すると、神は人の中に入って来られます。人は神を宇宙全体の奥義とし享受し、神を人の存在の意義とするでしょう。


JGW日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第2期第2巻より引用

タイトルとURLをコピーしました