バプテスマとは何か?

福音メッセージ

第1に、バプテスマとは葬ること

バプテスマとはあなたを水の中に浸し、それからあなたを水から出て来させることです。聖書において、バプテスマはとても重要な霊的な意味を持っています。第1に、バプテスマとは葬ることです。ローマ人への手紙 第6章3節は言います、「それとも、キリスト・イエスの中へとバプテスマされたわたしたちはみな、彼の死の中へとバプテスマされたことを、あなたがたは知らないのですか?」バプテスマとは、彼の死の中へとバプテスマし、彼と共に葬られることです。それは、キリストが御父の栄光を通して死人の中から復活させられたように、わたしたちも命の新しさの中を歩くためです(4節)。「もしわたしたちが、彼の死の様の中で彼と結合して生長したなら、彼の復活の様の中でも彼と結合して生長するのです」(5節)。わたしたちがイエスを信じ、受け入れて彼の命を得たなら、古い人は彼と共に葬られます。主イエスはわたしたちのために死なれ、墓に葬られましたが、三日目に死人の中から復活して、墓から出て来ました。わたしたちはバプテスマを通して、主と共に死に、共に葬られ、共に復活することを宣言します。バプテスマの水は葬る死の水であり、バプテスマによって、古い人、古い生活、旧創造、わたしたちのすべてはみなバプテスマの中で葬られました。

第2に、バプテスマは移すこと

第2に、バプテスマは移すことです。バプテスマを通して、サタンの暗やみの権威から神の愛する御子の王国へと移します(コロサイ人への手紙 第1章13節)。聖書でバプテスマについて語っているとき、バプテスマは三一の神の中へとバプテスマするのであると特に述べています。マタイによる福音書 第28章19節において、主イエスは復活の後に弟子たちに言いました、「行って、すべての諸国民を弟子とし、父と子と聖霊の名の中へと彼らをバプテスマして」。ですから、バプテスマとは、三一の神、すなわち父、子、聖霊の中へとバプテスマすることであり、キリストのからだの中へとバプテスマすることであり、キリストご自身の中へとバプテスマすることです。

神の王国へ入る

ある人は、「主をすでに信じたのになぜまたバプテスマする必要があるのですか?」と聞くかもしれません。これは神の命令であり、御言葉がこのようにわたしたちに告げているのです。ヨハネによる福音書 第3章において、主イエスがニコデモに再生について語っているとき、こう言いました、「まことに、まことに、わたしはあなたに言う.人は水と霊から生まれなければ、神の王国に入ることはできない」(5節)。再生された者のみ神の王国に入り、神の王国を見ることができます。主は水と霊から生まれることについて特別に述べました。水はバプテスマの水であり、また葬りの死の水です。霊は神の霊であり、わたしたちの信仰を通してわたしたちに与えられ、わたしたちの霊の中でわたしたちを再生します。 

神の王国に入るために、この二歩が必要です。第1に、霊から生まれることです。それは信仰を通して、神の霊を人の霊の中に受け入れることによって、人の霊が神の霊によって生まれ、人が神から生まれます。第2に、水から生まれることです。それは葬りを通して、古い人、旧創造、古い命、古い生活を共に終わらせることです。 

バプテスマの水と再生の霊を通して、神の王国の中に入ることができます。ですから、信じたなら、バプテスマされる必要があります。信じたなら、霊の中で再生されます。しかしながら、なお水から生まれるバプテスマを通して、古い人、旧創造を終わらせる必要があります。それによって、わたしたちは神の王国の中に移されることができます。

バプテスマを通して、一つの移すことを成し遂げます。アダムからキリストへと移され、サタンの暗やみの権威から神の愛する御子の王国へと移されます。バプテスマを通して、わたしたちは三一の神、キリスト、キリストのからだと有機的に結合するので、バプテスマはとても重要です。外面的に見るときに、バプテスマは形式のようですが、背後にある霊的な意義はとても深く、とても重大なものなので、それはとても重要で、厳粛な事柄です。


JGW日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」  
第1期第3巻より引用