福音の鍵 やましい (朗読付き)

福音メッセージ

朗読(疚しい①)習志野に在る教会作成

消し去ることができない過ち
ある日、急いでいる父は学校が終わった息子を迎えに行くために、いくつかの赤信号を無視してしまいました。息子が車に乗って言いました、「お父さん、僕は今日二つの消しゴムを買いました。五ドルで買ったものは、鉛筆で書いた間違った文字を消すことができます。十ドルで買ったものは、ボールペンで書いた間違った文字を消すことができます……」。その時、聞かれたことがない、答えがないような事柄が突然父の頭の中に浮かび上がりました、「あなたとわたしの間違った行ないを消すことができる消しゴムはいくらするのか?」。

「わたしたちは御前で、心を安らげるでしょう」(ヨハネの第一の手紙 第三章十九節)。

神の御前で心を安らげるということは、とがめのない良心を持つことによって、わたしたちの心が慰められ、服従し、堅固になり、静まるということです。わたしたちの良心にある罪の病による汚れを清めることができるどんな洗剤、化学薬品、酸性物質もありません。わたしたちの良心は、これらよりもさらに有能なものが必要です。わたしたちの良心は、キリストの尊い血が必要です。ヘブル人への手紙第九章十四節は言います、「キリスト……の血は、なおさらわたしたちの良心をきよめて」。キリストの血だけがわたしたちの良心を清め、すべての罪の病を取り除く力を持っています。

朗読(疚しい②)習志野に在る教会作成

キリストの血はどのようにしてわたしたちの良心のとがめを洗い清めるのでしょうか? たとえば、あなたが車を運転し、交通違反をして違反切符を受けたとします。そのとき、あなたには三重の問題があります。まず、あなたは法を犯しました。次に、あなたは政府からの罰金という負債を持ちます。第三に、あなたは違反切符を受けることで、罰金を支払うことを思い起こさせられます。あなたが無一文で、罰金を支払うことができなかったとしても、違反切符を捨てれば良いわけではありません。警察には原本があるので、罰金を支払わないなら、問題は大きくなります。このたとえは、あなたが毎回罪を犯したときに起きたことを説明しています。まず、あなたは神の律法を犯し、神に罪を犯しました。第二に、あなたは神の律法に対してとがめを受けています。ローマ人への手紙第六章二三節は言いますが、罪の報酬は死です。これは厳しい罰金であり、あなたは支払うことができません。第三に、あなたの良心に罪の病があります。これは、あなたのポケットにある違反切符があなたの違反について思い起こさせることと同じです。

今や良い知らせがあります。主イエスが十字架上で死なれたとき、彼の死によって、あなたに対する神の律法の要求が完全に満たされました。言い換えれば、あなたの罪の負債はすでに支払われたということです。ですから、神は罪を問うことなく、罪の負債はすべて清算されました。しかしながら、あなたの良心はどうでしょうか? 罪の病の汚れは違反切符のように、あなたの罪を記録しています。これが、キリストの血があなたの良心を清める必要があるという理由です。キリストの死によって、罪の負債はすでに清算され、彼の血は今や負債の記録を消すことができます。それは、罰金が支払われて違反切符を破り捨てることができることと同じです。また、あなたの良心においても、罪の病の汚れは完全に取り除くことができます。イエスは罪を赦すために血を流されました。あなたが彼を信じるなら、あなたの罪は赦され、良心における罪の痕跡も清められ、もはやあなたは罪を感じなくなります! ですから、あなたの良心もとがめられることがなく、平安を持つことができます。

記事は日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第4期第1巻より引用