自己と、わたしたちの古い人とは密接な関係があります。自己というのは、その古い人が生かし出されたものであり、意見と主張において表れます。自己に満ちた人は、自信があり、自己を愛し、自己を見せびらかします。これら以外にも、思い上がり、高慢で、うぬぼれていることが加えられるでしょう。自己の各面は、拒絶され死へと追いやられなければなりません。
イスラエル人はヨルダン川を渡った時に、古い人を葬ったので、神の与えられた、彼らの安息の地としてのカナンの良き地へと入ることができました(申命記 第12章9節-10節、ヘブル人への手紙 第4章8節)。わたしたちは、また古い天性の中の自己の各面を死へと渡す必要があります。そうしてこそ、霊の中で、良き地としてのキリストを享受し、わたしたちの真の安息とすることができます。
3 御座うばう自己を、
はなれさせよ!
ながうちに「われ」が
なくなるまで。
自しん、自己満ぞく、
はなれさせよや;
なれをちからとし、
住まいとする。
[3 御座を奪い取る自己から、
主よ、わたしを救い、
離れさせてください。
「わたし」があなたの中で失われ、
永遠に戻ることがありませんように。
おお、主よ、わたしを自信から離れさせ、
自己満足から離れさせてください。
完全にあなたをわたしの力とし、
わたしの住まいとしますように。(全訳)]
記事は日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」
第1期第1巻より引用