多くの地方の羊飼いは毎日、羊を山に連れて行って草を食べさせます。山には虎やおおかみがたくさんいて、危険な場所がたくさんあります。羊が迷子になることもあるので、羊飼いは常に羊を探したり、獣と戦ったりする準備をしていなければなりません。
あるところに、何頭もの羊を飼っている人がいて、その息子が毎日羊を山に連れて行って放牧させていました。夕暮れ時になると羊たちを父親の家に連れて帰り、囲いの中に羊を入れて、一晩過ごします。羊を囲いの中に入れる時に、迷子になっていないかどうか、一匹ずつ数えます。
ある日、夕暮れ時になって、突然風が吹き雨も降り出し、空は暗くなり、風はさらに強くなり、雨はどしゃ降りになりました。羊飼いの少年は急いで羊を家に連れて帰り、一匹ずつ数えて囲いの中に入れましたが、一匹いなくなっていることに気がつきました。その時、彼はとても疲れていました。また体が冷えており、濡れていたので、部屋に戻って服を乾かし、休もうとしました。しかし、山で迷子になっている羊のことを思い出し、心が悲しくなってきました。またその羊がまだ小さい羊だったことを思い出し、彼は急いで父の暖かい家を出て、迷子になって一匹になっている小羊を探しに山まで行きました。
彼は激しい風と大雨の中、夜通し小羊を探し、小羊の名を叫びました。彼の手足はいばらや岩などで傷つき血が流れていました。やがて夜が明けると、遠くの崖の下からかすかな声が聞こえ、その場所に懸命に近づいてみると、小羊がいばらにぶら下がっているのが見えました。彼はすぐに断崖絶壁を降りて、小羊を引き上げて、苦労して肩に担いで家まで運びました。このとき、彼は非常に疲れていて、体も冷えて、濡れており、手足は傷だらけだったのですが、失われた羊を見つけ出すことができたので、彼の心はとても喜んでいました。
彼が家に帰ると、彼の父親も大喜びで近所の人たちを呼んで言いました、「息子が迷子の羊を見つけたので、みなさんも喜んでください」。彼らはみな、彼のために喜びました。しかし、少年は重病になり、頭はふらふらし、全身が熱かったのですが、心は喜んでいました。彼の病状は日ごとに悪化し、まもなく死んでしまいそうでした。自分の死後はどうなるのか分からず、少年はとても恐れていました。それを聞いたある人が、ある伝道者に彼に会いに来てくれるようにお願いしました。伝道者は彼を見たとき、この子はもうすぐ死ぬと思い、主イエスを信じるようにと言いました。しかし、その少年は主イエスのことを聞いたことがありませんでした。そして、伝道者は彼に、あなたは自分が神によって造られたことを知っているかと尋ねました。しかし、彼は神を知らず、神がこの世を創造したことも知りませんでした。すると、伝道者は非常に悩んで心の中で言いました、「わたしは、この子が救われために、どのように神と主イエスと天的な事柄を教えて、彼に知ってもらえばいいのだろうか?」。しばらくして、彼は少年にどうしてそんなに具合が悪いのかと尋ねると、少年は失われた羊を探し出した話をしました。そこで伝道者は彼に尋ねました、「羊を見つけたとき、あなたはどうしましたか?」。彼は、「羊を肩に担いで家まで運びました」と答えました。
伝道者は言いました、「あなたもこの小さな小羊のように、迷い込んでしまったのです。あなたは罪を犯して、道に迷い込み、火の池の道を行っているのです。主イエスは良い羊飼いであり、失われた羊を探しに来られたのです。主イエスは、あなたが山で夜通し小羊を探したように、あなたを探しに来てくださったのです。あなたはなぜ、夜通し山で迷子の羊を探したのですか?」。
少年は答えました、「それは、わたしはその小羊を愛していたからです」。伝道者は、「主イエスは、あなたを愛しておられるので、あなたを探しに来られます! あなたは命を顧みずその羊を救いました。なぜあなたは羊のために命を捨てようとしたのですか?」と尋ねました。この少年は、「その羊を愛していたからです」と答えました。最後に伝道者は言いました、「同じように、良い羊飼いである主イエスは、あなたのために命を捨て、血を流してあなたを救いにやって来られたのです。あなたを迷い込んだ道から連れ戻し、神の家へと平安のうちに連れ帰ってくださいます」と言いました。
その少年は、良い羊飼いである主イエスの慈愛の言葉を聞き、理解し、信じました。主イエスご自身も「わたしは良い牧者である.良い牧者は羊のために自分の命を捨てる」(ヨハネ十・十一)と言われました。数日後、その少年は平安の内にこの世を去りました。彼がこの世を去る前に、「主イエスはわたしの救い主であり、良い牧者です」と人々に証ししました。
記事は日本福音書房発行「ミニストリーダイジェスト」第6期第8巻より引用